歴史上の男性武将で名を残した人気ランキング10人!

日本の戦国武将

海外の人々からも人気を集める日本の戦国武将達。TV番組の大河ドラマは長年注目され、近年、歴女と呼ばれる女性たちが誕生するなど、国内においてもその人気は非常に高い。

そんな彼らの人気の秘密は、人間としての強さや魅力、そして数ある武勇伝ではないだろうか。戦国を生き抜いた武将たちには、現代の人々を魅了するかっこよさがあるのだ。

ここでは、歴史上に名を残した男性の武将を人気ランキング形式でご紹介しよう。ぜひ、知られざる彼らの武功と共にその魅力を堪能してもらいたい。

10位:百姓から天下人へ!人たらし”豊臣秀吉”

豊臣秀吉(旧:木下藤吉郎)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で天下人、武家関白、太閤。三英傑の一人である。織田信長の家臣として”サル”の愛称で呼ばれていた。

有名な逸話として、信長の下駄を「寒い夜なので温めておりました」 と懐で温め、信長を喜ばせたというエピソードがある。

現代で言う「太鼓持ち」のイメージが強い秀吉だが「気付き・発想力・アイディア」などに富んだエピソードも数多く存在する。

また、敵をも味方に変えてしまう生粋の「人たらし」と呼ばれる所以は、敵であろうと優れた者には手を差し伸べ、単に「うわべだけの心地よい人間関係」ではなく、真剣に人と向き合い、人の心を動かす魅力があったからではないだろうか。

近年、嫌われ者傾向にある秀吉だが、若かりし頃の彼は、身分や立場を問わず人を助ける優しさを持った人物であったと感じさせる。

9位:戦国の世を終わらせた男!徳川家初代”徳川家康”

徳川家康(とくがわいえやす)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。100年に渡る、戦国の世に終止符をうち、その後265年続く、江戸幕府を開いた人物である。

そんな家康にはこんな逸話がある。武田軍との戦いの際、家康は恐怖のあまり馬上で脱糞をしてしまう。それを家臣の大久保忠世にからかわれ「これは焼きみそじゃ!」と言ったそうだ。

さらにその時の悔しさを忘れない為、そのままの状態で肖像画まで描かせている。画像はその時の肖像画の物だ。どこか照れくさそうな悔しそうな顔が可愛らしく思えてくる。

また、手洗いから出て、手を拭こうとした紙が庭まで飛ばされた際、わざわざ庭に降りて紙を追いかけたそうだ。

それを見て笑った家来に対し「わしはこれで天下を取ったのじゃ!」と言ったのだそう。

そんな家来達とのほのぼのとしたエピソードや、節約家の一面を持つ家康には、厳しい戦乱の世を生き抜いたどの武将達ともひと味違う、親近感のようなものを感じてしまう。

そんな家康も天下人としてやはり数多くの名言を残している。

「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が」「大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ」「滅びる原因は自らの内にある」などである。

戦国時代の猛者たちの中を生き抜き、天下を治めた家康の言葉達こそが「和を重んじ自分を律する」という、日本人のルーツとなっているのではないだろうか。

8位:人気急上昇中!秀吉に忠誠を誓った男”石田三成”

石田 三成(いしだみつなり)は、豊臣氏の家臣で五奉行の1人。安土桃山時代の武将・大名、佐和山城主である。

三杯のお茶が三成と秀吉の出会いとなった。

当時、鷹狩をしていた秀吉は喉が渇き、とある寺でお茶をもらうことにした。すると一杯目は大きな茶碗にぬるめのお茶が、二杯目はやや小ぶりの茶碗にやや熱いお茶が、そして三杯目は小ぶりの茶碗に熱いお茶が出てきた。

相手の様子を見てその欲するものを出す、その心働きに感激した秀吉は、お茶を入れた寺小姓を城に連れて帰った。その小姓こそ石田三成である。

その後、三成はなにがあろうと豊臣家への忠誠を貫き、財政の面などでも大いなる貢献をしている。

近年、その隠れた魅力がメディアなどでも取り上げられ、器用なのにどこか不器用な、優しく熱い義の男として人気を博している。