甲子園に出場してないのにメジャーリーガーになって活躍した選手トップ5!

甲子園に出場してないのにメジャーリーガーになった選手

夏になると、日本人誰もが楽しみにしている?甲子園が各都道府県を沸かせる。

少年野球のチームに入る。甲子園で優勝した事がある野球名門校のセレクションを受けて入学する。甲子園に出場する。

甲子園で活躍して、(大学、社会人を経て)プロ野球に入る。というコースが出来上がっている様なイメージがあるが、甲子園に出場していない選手でもプロ野球に入団し、活躍している選手はたくさんいる。

甲子園に出場していなくても、いい選手の情報はスカウトは掴むものであるし、第一、野球はチームスポーツなので、甲子園に出場する、しないはある種の運も必要だ。
(もちろん、甲子園に出場し、全国の強豪と試合したという経験は得がたいものなのだが)

日本のプロ野球だけではなく、将来的にはメジャーでプレーしたいという夢を持っている高校生も随分増えたかと思うが、実は日本人メジャーリーガーには、甲子園出場経験がないという選手も多くいるという事を知って頂きたい。

そこで今回は、甲子園に出場していないのにメジャーリーガーになって活躍した選手トップ5を紹介する。
※ニューヨークヤンキースから広島に復帰した黒田投手は投手として登板はしていませんが、控え選手としてベンチ入りし、甲子園の土を踏んでいるので対象外とさせて頂いた。

 

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5位:川崎宗則

元々右打ちだった川崎宗則は中学時代、イチローの影響を受けて左打ちに変える。
鹿児島県立鹿児島工業高等学校に入学するも、高校時代は甲子園出場は叶わなかった。
全国的には無名の存在だったが、50m走5秒8の俊足。その安打数の多さから「薩摩のイチロー」と地元で呼ばれていた川崎選手は高校卒業と共にダイエーに入団する。

入団後、二軍で確実に実績を積み、主力選手の怪我を埋める存在として1軍の出場機会を増やしていく。
2004年にシーズンからショートのレギュラーに定着すると、その年全試合フルイニング出場と打率3割を記録、盗塁王にも輝くと、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も獲り、一気に球界の中心選手となっていく。2006年に開催されたWBCの日本代表に選出。憧れのイチローらと共にWBC制覇に貢献。
イチローのヒットによってキャッチャーのブロックをかいくぐって生還したプレーは「神の手」と賞賛された。

2011年オフ、海外FAを行使してメジャー移籍。移籍先は、尊敬するイチローのいるマリナーズだった(契約はマイナー契約)。
スプリングトレーニング時は招待選手扱いだったものの、結果を残し開幕メジャー枠を勝ち取り、守備固めや代走などで出場を続けた。
同年オフにマリナーズを自由契約となると、2013年にブルージェイズとマイナー契約で合意。
同じく守備固め、代走、代打という立場ながらもガッツ溢れるプレーと、その明るい人柄で現地のファンを魅了する。
以降、毎年の様に、自由契約からの、マイナー再契約という事が繰り返される度、日本とトロントのファンは川崎に対して熱いラブコールを送っている。

2015年、川崎選手は、日本からの高額オファーを断り、ブルージェイズとマイナー契約で再契約した。

盗塁王:1回(2004年)、最多安打:1回(2004年)、ベストナイン:2回 (2004年、2006年)、ゴールデングラブ賞:2回 (2004年、2006年)

4位:新庄剛志

「子供の頃どんなスポーツをやっても、一番になった」と本人が語るのは、言い過ぎではないだろう。
運動能力は子供の頃から抜群だった新庄少年が唯一、一番になれなかったスポーツが野球である。
それだけに野球にはまった新庄少年は、少年野球チームのコーチを務めた父親の特訓に耐えて野球の腕前をあげていく。
(少年野球当時はキャプテンで、エースで、4番だったという)

高校は、西日本短期大学附属高等学校へ進学。3年時は1番、センターとして出場。
福岡県大会決勝の福岡大大濠戦でサイクル安打を達成するもチームは敗れて甲子園出場を逃すものの、その強肩を高く評価されて、
高校卒業後、ドラフト5位指名を受けて阪神タイガースに入団する。
右中間守備コンビを組んだ亀山努らと共に活躍した1992年以降一軍に定着。
敬遠球を打ってサヨナラ打するなど、派手な活躍を見せて常に阪神の中心選手だった新庄選手が、2000年オフにFA宣言すると、阪神、ヤクルト、横浜が争奪戦を繰り広げる。
阪神タイガースは引きとめの為に5年12億円の破格の条件を提示したともいわれるが、最終的に新庄が選んだ球団は年俸20万ドル(約2200万円)のニューヨークメッツだった。
レギュラーが確約されていなかったものの、オープン戦で結果を見せた新庄は外野のどのポジションも守れるプレーヤーとして信頼を得ていく。

2002年にジャイアンツに移籍すると、日本人選手として初めてワールドシリーズに出場。センター前ヒットを放っている。
その後、日本球界に復帰した新庄選手は、オールスターのヒーローインタビューで、「これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです!」と宣言。
タイトルとは無縁だったが、日米両国の野球界に彼が残した貢献は大きいのだ。

ベストナイン:3回(外野手部門:1993年、2000年、2004年)
ゴールデングラブ賞:10回 (外野手部門:1993年、1994年、1996年~2000年、2004年~2006年)