西武ライオンズの助っ人外国人
1980年代最強を誇った西武ライオンズ。この黄金期は、歴代最強の外国人助っ人コンビの活躍なしにはありえなかった。
この「歴代最強の外国人助っ人コンビ」は何年経っても色あせない圧倒的な存在感を放っている。
さて、この時代に比べると最近は…と言いたくなる様な成績が、近年の西武ライオンズの外国人助っ人選手に続いている。
だがそれは、彼らだけの責任なのだろうか?母国を離れて来日している外国人助っ人は「孤独」とも戦っている。
そんな、助っ人外国人選手を日本人選手や首脳陣が彼らを助ける事も必要なのだ。彼らはただ助けてもらうだけの存在ではない。
最強西武ライオンズの復活。それは外国人助っ人選手を助けられる様な存在が、チーム内から出てくるかどうかにかかっていると思うのだ。
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5位:ドミンゴ・マルティネス

清原和博の代役として1997年に西武ライオンズにやってきた救世主、それがドミンゴ・マルティネスだ。
彼が打席に入ると「マルちゃん」という大歓声が沸きあがり人気も高い選手だった。
1997年には130試合に出場し、打率.305、本塁打31本。打点108を挙げて指名打者のベストナインにも選出。
東尾監督の下、97年、98年のリーグ連覇に大きく貢献した外国人助っ人だった…のだが、守れない、走れない。
そしてチームは若返らせる方針だったため、1998年シーズンは133試合に出場し、打率.283、本塁打30本、打点95という好成績を挙げていながら、解雇されてしまう。その後、マルティネスはメキシカンリーグを経て読売ジャイアンツへ入団する。
清原和博との併用の為シーズンを通じて満足な成績は挙げられなかったが、たまに出場すると印象に残る活躍を見せた。
ジャイアンツのベンチに控えている彼を見る度に、マルティネスの代わりとして獲得していた助っ人外国人選手が全く期待はずれに終わっていたライオンズファンは複雑な思いをしたものだ。