プロ野球、読売ジャイアンツの歴代最強助っ人外国人トップ5!

読売ジャイアンツの助っ人外国人

リーグ優勝回数はダントツの1位。読売ジャイアンツの長い歴史の中で助っ人外国人選手が果たしてきた役割が大きい事は言うまでもない。

今回私が読売ジャイアンツの最強助っ人外国人選手を選ぶ際に、他球団で「最強」と呼ばれる程の活躍をみせて、後に読売ジャイアンツに移籍してきた助っ人外国人選手の事をどう考えるべきか…という難問があった。
その中で幾人かの名選手がランキング漏れする事になったが、それらの選手は私が執筆した別記事にランキングしている事かと思うので、宜しければそちらも併せてご覧頂きたい。

また日本プロ野球の黎明期を支え、NPB史上初の通算300勝を達成したスタルヒン投手も「あえて」ランキング外としている事もご了承頂きたい。
前置きが長くなったが、読売ジャイアンツの歴史を支えた歴代最強外国人助っ人達の雄姿をご覧頂きたい。

 

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同率5位:ビル・ガリクソン

背番号20番、ガリクソン投手。ちなみに背番号20をつける読売ジャイアンツの助っ人外国人選手は多く、サンチェ、ローズ、バニスター、マシソン選手などがこの20番をつけている。
MLBのエクスポズ、レッズ、ヤンキースで活躍後、巨人入り。2年間の日本プロ野球生活を経て、再びMLBに復帰。
特にデトロイトタイガースに所属した1991年のシーズンでは20勝を挙げてアメリカンリーグ最多勝利投手に輝いている。
第一線級のメジャーリーガーが日本球団に所属した後、再びメジャーに戻って、最多勝利投手にまで輝くほど活躍するというのは異例だった。
1型糖尿病を患うガリクソン選手が、インスリンを打って毎試合登板していた姿は同じ1型糖尿病を患う人たちに大きな勇気を与えたのである。
2年間で21勝14敗という数字以上に彼が日本に残した功績が非常に大きい事は、1998年日本糖尿病協会が彼の名前を冠した「ガリクソン賞」を制定した事からも見て取れる。
自分の息子の名前を読売ジャイアンツ時代のチームメイトである「桑田真澄」投手からとって「クワタ」と名づけた事は有名である。

同率5位:S.グライシンガー

グライシンガー投手は、来日1年目の2007年に所属したヤクルトスワローズで16勝(8敗)を挙げて最多勝を獲得。
そんな「最強外国人助っ人」になっている投手を巨人が獲得したので、「読売ジャイアンツの歴代最強外国人助っ人」とするのに異を唱える人もいるかもしれない。
ただ、【2年連続最多勝】を獲得した外国人助っ人投手であるS.グライシンガー投手を「歴代最強外国人助っ人」に選ばないわけにもいかない。
そんな彼が、どこのチームで最も成績を挙げたのか?という観点で考えて、読売ジャイアンツの【同率5位】とした。
読売ジャイアンツに移籍した2008年、彼の成績はキャリア・ハイとなる17勝9敗(そのうち前年まで所属したヤクルト戦の成績は5勝0敗である)。
リーグ優勝に大きく貢献。2009年もシーズン途中までに13勝を挙げるのだが、ひじを故障し、シーズン途中で帰国する。
以後もひじの回復がおもわしくなく、その後の成績は2年間で1勝止まりだったが、巨人を自由契約になったあとに所属した千葉ロッテマリーンズで見事に復活。
2012年のシーズンは12勝8敗という好成績を挙げる。(ロッテでの2年目は5勝4敗でこの年限りで退団する)。