オリックスバッファローズの歴代最強助っ人外国人トップ5!

3位:ラルフ・ブライアント

「神様」が近鉄に来たのは運命だった。1988年当時近鉄の主軸だったデービス選手が大麻所持の為逮捕されて退団。
この事態に対応すべく、近鉄がリストアップしたのが当時外国人枠の問題で中日の二軍にいたブライアント選手だった。
(当時の外国人枠は2名まで。その2名が主軸のゲーリーと郭源治ならば長打力があっても、三振が多いブライアント選手は二軍に置かざるをえなかったのである)
金銭トレードで近鉄に移籍すると、ブライアントはホームランを量産。西武ライオンズを猛追する立役者となる。
そして、あの伝説の「10.19」ロッテとののダブルヘッダー2試合目で34号の本塁打を放つ。この試合結局引き分けに終わった近鉄は優勝を逃すが、翌年のブライアントの爆発を予感させるシーズンとなった。
翌1989年の優勝争いは更に熾烈を極める。オリックス、西武、近鉄の3つ巴の優勝争いが終盤まで展開されたのだった。
そして、こちらも伝説となっている「10.12」西武とのダブルヘッダーでブライアント選手は正に「神様級」の活躍を見せる。
4回にソロ。6回に同点満塁弾。8回には勝ち越しのソロの「1試合3発本塁打」。続く第二試合でも敬遠四球の後の3回に逆転2ランを放ち「4打席連続本塁打」を記録。
ダブルヘッダーに連勝して、近鉄はこの年リーグ優勝する。日本シリーズでは3連勝後の4連敗で日本一を逃すが、ブライアントはその後も近鉄の主砲として活躍。
「東京ドームスピーカー直撃弾」「千葉マリンスタジアム掲示板破壊弾」など印象深い特大ホームランを何本も放ち、本塁打王3回(1989、1993、1994)打点王1回(1993)。二冠王となった1993年にはシーズン204三振という記録も残している。