阪神タイガースの助っ人外国人選手
レギュラーシーズンを終え、もうすぐクライマックスシリーズが始まるプロ野球。4番や先発ローテーションの一角等、チームの弱点を助っ人外国人で補強するチームも少なくない。
助っ人外国人というと基本的には、その名の通り、チームを助ける存在だ。歴代の阪神タイガースの助っ人外国人を見ても、いくつかの選手がチームの勝利に貢献している。
しかし、外国人ほど当たり外れが多い買い物はないだろう。特に阪神タイガースはそうでないだろうか。
今でこそマートンやゴメスといった「当たりクジ」を引いているが、一昔前は、毎年のように新しい外国人が入団し、毎年のように結果を残すことなくシーズン途中に帰国していった。
そして、そんな助っ人外国人の一挙手一投足にファンは一喜一憂するのであった。今回はそんな阪神ファンの脳裏に焼き付いているであろう、「歴代ダメ助っ人外国人」を紹介しよう。
5位:トニー・タラスコ

2000年に大砲候補として期待され入団。オープン戦では勝手に試合を抜け、マライア・キャリーのコンサートに行く始末。
また、不振時にバントヒットを狙ってアウトになった時には、解説者から「主砲不在のこのチームに、誰もバントヒットする助っ人なんか求めてない!」と言われた。
帰国後、ニューヨーク・メッツでプレイした2002年に2度にわたってマリファナの不法所持で逮捕される失態も。
4位:ケビン・メンチ

2009年入団。メジャー通算89本塁打の破壊力抜群のパワーに加え、3拍子揃った4番候補として期待された。
しかし、開幕から並みの早さのストレートにさえ対応出来ない弱点を露呈して、不振を極め、開幕から一ヶ月足らずで一軍登録抹消。
その後、一軍に復帰することはなく、夫人の出産に立ち会うため7月に帰国し、再来日することなく11月に退団。