WWEに所属した日本人レスラー
2014年、プロレスリング・ノア所属のKENTAが、アメリカのプロレス団体・WWEと契約を結び、大きな話題になった。KENTAは現在、イタミ・ヒデオというリングネームで、WWEの傘下団体であるNEXで活躍している。
KENTAの得意技である「go 2 sleep(ゴートゥースリープ)」、「不細工へのヒザげり」などの蹴り技は、CMパンクやダニエル・ブライアンも使用しており、日本人レスラーの高いプロレス技術は海外でも評価が高い。
今回は、過去にWWEに所属し活躍した、日本人レスラーのランキングを作成した。
5位:ケンゾー・スズキ(KENSO)

ケンゾー・スズキはWWEで活躍した日本人プロレスラーである。日本でのリングネームは、鈴木健三、KENSO。
学生時代はラグビー日本代表にも選ばれおり、期待の大型新人として新日本プロレスでデビューする。しかし、当時の新日本プロレスは暗黒時代と呼ばれる時期に差し掛かり、選手や関係者の離脱が相次いでいた。自身もWJプロレスに移籍するが、目立った活躍をすることもなく退団。アメリカに活動の場を移して、TNAなどへ参戦後し、WWEと契約に至る。
WWEでは「ヒロヒト(昭和天皇の名前)」のリングネームでヒールとしてデビュー予定であったが、妻が猛抗議をし、ケンゾー・ススギのリングネームで参戦することなった。抗議の際に流暢な英語を使う、妻・浩子もWWEから気に入られ、ディーヴァ・ゲイシャガールとして共にデビュー。
「神輿のようなものに担がれて入場する」、「ゲイシャガールは顔面白塗り」など日本人を強調した演出があった。タッグチャンピオンになるなど活躍したが、怪我が元で1年ほどでWWEから解雇となる。
その後はハッスル、メキシコCMLL、全日本プロレスに所属し、現在はフリーランス。
4位:YOSHITATSU(山本尚史)

YOSHITATSUはWWEで活躍した日本人プロレスラーである。新日本プロレスでデビューしており、同期には中邑真輔、後藤洋央紀などがいる。当時のリングネームは、山本尚史。
30歳のころ、無期限の海外遠征に出発し、WWEの傘下団体であるFCWに入団する。新日本プロレス所属時は、まだ若手だったこともあり目立った活躍がなく、メジャー団体である新日本プロレスを辞めてのWWE挑戦は、ファンから「無謀なのでは」と感じられていた。だが、1年後にはWWEのトライアウトを受けて合格。WWEとディベロップメント(育成選手)契約を結ぶ。
1年間のトレーニング期間を経て、WWEのテレビ番組であるECWにて、YOSHITATSUのリングネームでデビュー。ディベロップメント契約から昇格して、WWEのリングに立った初めての日本人レスラーである。
その後、およそ6年間の間、WWEに在籍。テレビ放送のない大会での試合が多く、また役割もジョッパー(やられ役)が中心であった。ジョッパーは「相手を引き立たせて負ける」ことが要求される難しいボジションとも言われ、高いレスリング技術をWWEから評価されていたことが伺える。
WWE解雇後は、7年ぶりに新日本プロレスに復帰するが、復帰戦で首の骨を折る重症を負ってしまう。現在は、長期欠場中である。